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東京地方裁判所 平成11年(ヨ)21162号 決定

債権者

土屋久美子

右債権者代理人弁護士

森本宏一郎

債務者

株式会社廣川書店

右代表者代表取締役

廣川節男

右債務者代理人弁護士

浅岡省吾

主文

一  本件申立てを却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

事実及び理由

第一請求

債務者は、債権者に対し、平成一一年八月から本案の第一審判決言渡まで毎月二〇日限り、金四九万二一〇〇円を仮に支払え。

第二事案の概要

本件は、債務者の従業員である債権者が解雇の効力を争い、債務者に対し賃金の仮払いを求める事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  債務者は、自然科学部門の学術書の出版を業としており、主に薬学教科書の出版のほか、薬学・化学分野の参考書や事典類及び看護学の書籍も出版している。債務者の従業員は、約四〇名で、そのうち課長以上の管理職は一〇名余である。債務者は、事業所として、本社及び文京区向丘に分室と称されている倉庫を所有しているほか、平成一一年七月一九日に閉鎖されるまで長野市に長野分室を設置していた。また、債務者の組織は、営業部、編集部、経理部及び総務部により構成されており、他にいずれの部にも属しない廣川恒男(債務者代表者の二男)がいる。

なお、債務者の役員及び株主はすべて債務者の代表者の親族であり、債務者はいわゆる同族会社である。

2  債務者の管理職以外の従業員の大半は、債権者も含め、廣川書店労働組合(以下「廣川労組」という。)に所属する組合員である。

3  債権者は、昭和五三年九月、債務者に日給月給制の従業員として入社した。その後、債務者と廣川労組との間で、債権者の身分上の取扱いに関し、平成四年一〇月三〇日に締結された協定に従い、債権者は、平成五年一月一日、債務者の正社員となった。債権者は、債務者に入社以来、債務者の長野分室に勤務していた。

4  債務者の長野分室は、昭和五一年、債務者が出版物の印刷を発注していた長野市所在の大日本法令印刷株式会社(以下「法令印刷」という。)内に設置されたもので、その業務は、債務者の書籍の進行促進、本社への連絡、下貼り作業などであった。長野分室勤務の従業員は、債権者が債務者に入社し長野分室で勤務するようになって以降常時二名ないし三名であったが、平成九年二月、法令印刷社内から移転する際、従業員は、二名が退職し、債権者一名となった。

5  債務者は、法令印刷への発注量の減少及び技術革新により長野分室での業務がなくなったとして、平成一一年六月三〇日、債権者に対し、同年七月一九日付けで長野分室を閉鎖すること、それに伴い同月二〇日付けで退職してもらいたいことを告げ、退職勧奨を行った。

そこで、債務者と廣川労組は、債権者に対する退職勧奨の問題について団体交渉を行ったが、解決されないまま、債務者は、平成一一年七月二八日付け書面をもって同月三〇日付け解雇の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

6  債務者における本件解雇直前の債権者の平均賃金は、月額四八万九四三〇円で、毎月二〇日払いであった。

二  争点

1  本件解雇の効力

(一) 債務者の主張

債務者の法令印刷に対する発注量は、昭和五〇年ころ年間約一万七〇〇〇頁、最盛期には二万六〇〇〇頁以上もあったが、法令印刷自体の技術革新(活字組版からコンピューター組版)への対応の遅れや出版不況の影響から減少を続け、平成八年八月から平成九年七月にかけては約七七〇〇頁に落ち込んだ上、それまで長野分室で行っていた下貼り作業等の補助的業務は、コンピューター組版の時代になりその量が著しく減少し、次第に長野分室で行う業務がなくなり、閉鎖のやむなきに至った。

債権者は、元々長野分室において補助的業務を行うためのアルバイト従業員として雇用され、その後正社員となったものの、本社採用の従業員とは異なり、勤務場所は長野分室に限定されており、その業務も補助的業務に止まるものであったから、長野分室の閉鎖に伴い、解雇せざるを得なかったものであり、本件解雇は有効である。

仮に、債権者の勤務場所が限定されていなかったとしても、債務者全体としても、新刊書の発行点数の減少、多くの不良在庫を抱えるなど業績は不振で、平成九年七月期の決算こそ黒字となっているが、これは金融機関から融資を受けなければならないために、不良在庫を過少に評価した結果であって、実際は赤字であった。債務者は、こうした事情から、コストの低減を図って一部作業を外注化したり、アルバイト従業員に業務を行わせるなどして人件費の削減を図っている状況であり、債権者の雇用を継続する余裕はない。また、債権者の賃金に照らすと、本社において、債権者に行わせることのできる業務もなく、配置転換も困難であったから、本件解雇は有効である。

(二) 債権者の主張

債務者は、看護学校、薬科大学で使用される教科書の出版が主であるため、重版が多く、その経営状況は新刊の出版点数の多寡によって直ちに影響を受けるような体質ではない。実際、平成九年七月期の決算でも黒字を計上しており、経営は安定している。債務者が不良在庫として主張するものには、販売が継続されており不良在庫といえないもの、利益調整のために二、三年ごとに処分されるもの、改訂版の発行に伴い売上減少による在庫が当初から予定されているものなどがほとんどであり、不良在庫は多くない。また、長野分室の業務がなくなったのも、債務者の出版量そのものの減少ばかりではなく、発注先の変更も理由になっており、債務者の業績悪化が原因とはいえない。このように債務者は、そもそも経営そのものの維持存続が危機的な状況にあったとはいえず、人員削減の必要性はなかった。仮に、経営合理化のために長野分室の閉鎖が必要であったとしても、債権者は、長野分室において編集業務、営業業務など多岐にわたる業務を行ってきたものであり、本社においても業務を行うことが可能であるし、債権者もそれを受け入れる意思を表明していたのであるから、配置転換による本件解雇の回避も容易であった。それにもかかわらず、債務者は、こうした配置転換の可能性を検討もせず、債権者及び廣川労組に対し、十分かつ具体的な説明を行うこともせず、突然本件解雇に至ったものである。

したがって、本件解雇は、人員削減の必要性を欠き、解雇回避義務も尽くされておらず、その手続が相当性を欠いており、いわゆる整理解雇の要件を満たしていないことは明らかであるから、本件解雇は権利の濫用に該当し、無効である。

2  保全の必要性

第三当裁判所の判断

一  後掲各疎明資料及び審尋の全趣旨によれば次の事実が認定できる(当事者間に争いのない事実等を含む。)。

1  債務者の概要

債務者は、昭和三三年七月二四日、自然化(ママ)学部門の大学用教科書の出版を主たる目的として設立された株式会社であり、平成一一年七月一九日現在資本金は二七〇〇万円であり、その事業所は長野分室の閉鎖以降、本社のみであり、そのほかに東京都文京区向丘所在の分室と称される倉庫を有している(〈証拠略〉)。

債務者には、廣川書店販売株式会社、廣川ビルディング株式会社、有限会社廣川英男事務所といった関連会社があるところ、債務者を含めて役員及び株主はすべて債務者代表者の親族で占められており、債務者はいわゆる同族会社である(〈証拠略〉)。

債務者の従業員は、平成一一年九月一三日現在課長以上の管理職一一名、一般従業員二六名の合計三七名であり、一般従業員のうち、二二名が廣川労組に所属する組合員である(〈証拠略〉)。

債務者の組織は、営業部、編集部、経理部及び総務部で構成されており、所属する管理職以外の一般従業員は、それぞれ一二名、一〇名、三名、一名となっている(〈証拠略〉)。債務者の編集部の主たる業務は債務者の出版物の編集、割付、下貼り、校正及び原稿入稿など編集に伴う諸業務であり、営業部の主たる業務は、商品管理、取次店などへの商品の出し入れ、薬科大学などへの売り込み・出版販売などである(〈証拠略〉)。なお、債務者の編集部に所属する従業員は管理職を含む一四名すべてが大学卒であり、このうち一〇名が理学部ないし薬学部卒である(〈証拠略〉)。

2  債務者の長野分室

債務者は、昭和三六年ころから、長野市所在の法令印刷に出版物の印刷を発注していたところ、発注量は次第に増加し、昭和五〇年ころには新刊・改稿版の書籍頁数にして年間約一万七〇〇〇頁になっており、債務者の年間発注量の六割を占めるに至った。そこで、債務者は、発注した書籍の印刷進行を円滑にするために連絡係を置くことになり、法令印刷を定年退職した社員を債務者の嘱託社員として雇用し、法令印刷社内の一室を借り受け、昭和五一年長野分室を開設した。その後も法令印刷への発注量は増加したため、昭和五三年九月、現地の嘱託社員の要請もあって、雑務を行う日給月給の従業員として現地で債権者を雇用したほか、平成二年九月にはさらにもう一名嘱託社員を雇用した。ところが、その後、最盛期には年間二万六〇〇〇頁を超えた債務者の法令印刷への発注量も、法令印刷の技術革新(活字組版からコンピューター組版)への対応の遅れによる発注先の変更や出版不況の影響から減少し始め、平成八年には年間約七七〇〇頁、平成一〇年には約一二〇〇頁にまで減少してしまった(〈証拠略〉)。このため、債務者は、法令印刷からの要請により、同社内に借り受けていた部屋を明け渡すことになり、それに伴い二名の嘱託社員が退職した。そこで、債務者は、長野分室の閉鎖も検討したが、当時、廣川労組が長野分室の閉鎖に反対したことなどから、平成九年三月に別の場所で長野分室を継続することになり、それ以降長野分室に勤務する従業員は債権者一名となった(〈証拠略〉)。

3  債権者の担当業務

債権者は、昭和三四年六月二日生まれで、高校を卒業した翌年である昭和五三年九月、債務者に日給月給制の従業員として現地で雇用され、平成四年九月に廣川労組に加入し、その後平成五年一月一日、債務者と廣川労組との団体交渉を経て債務者の正社員となった(〈証拠略〉)。債権者は、昭和五三年九月に債務者に雇用された当時、平成五年一月一日に債務者の正社員となった当時のいずれも勤務地を限定するような雇用契約書が作成されたことはないが、債権者は、債務者に入社以来本件解雇に至るまで長野分室に勤務してきた(〈証拠略〉)。

債権者の債務者における業務は、入社当初荷物の運搬等の業務も行っていたが、新刊であれば、本社で決定したレイアウトに従い、あるいは、改訂の場合は旧版を参照し、文字の大きさ、字詰め、行取り等の仕様を決める原稿割付、下貼りといった作業も行っていたが、平成九年二月に長野分室が移転して以降、法令印刷への発注量が減少したのに伴って、原稿割付、下貼りといった作業は減少し、債務者本社から宅急便で送付された原稿のコピー、原稿のマーキングといった編集に伴う補助的作業、編集の下準備である原稿整理作業も行った。長野分室固有の業務がなくなるにつれ、債務者は、本社から送付して債権者に校正業務や看護学校訪問といった営業部門の業務を行わせたこともあったが、債権者は校正業務の研修など指導を受けたこともなく、本社従業員のように現実に業務を行う中で上司や先輩から指導を受ける機会もなかったため、ミスが多く、営業活動においてもそれまで経験がなかったことなどから顕著な成果を挙げることはできなかった(〈証拠略〉)。

4  債務者の経営状況等

(一) 債務者の経営状況を営業利益でみると、平成九年七月期が約一億八五〇〇万円、平成一〇年七月期が約一億六二五〇万円、平成一一年七月期が約二億一五〇〇万円のそれぞれ黒字を計上しており、経常利益でみても、平成九年七月期が約一億四六三〇万円、平成一〇年七月期が約一億一三四〇万円、平成一一年七月期が約一億五九〇〇万円のそれぞれ黒字を計上しているが、そのうち、平成一一年七月期は、夏期賞与額について廣川労組との交渉が妥結しておらず、この時期に未だ賞与分約二二〇〇万円が支払われていない状況での決算であった(〈証拠略〉)。

また、債務者の資産状況は、平成一〇年七月期で、現預金が約一九億四三〇〇万円あるが、そのほとんどは短期借入金約二一億三〇〇〇万円の担保となっているほか、長期借入金は約一億一三〇〇万円あり、剰余金は約一億〇七〇〇万円となっている(〈証拠略〉、審尋の全趣旨)。

右のように債務者はここ三期の決算では黒字を計上しているが、これはいわゆるバブル経済の崩壊後の金融機関の「貸し渋り」の状況下で、金融機関から赤字を計上しないことを融資継続の条件として指導されているために、不良在庫の償却を行わず黒字決算を行ったからであり、実際に不良在庫の償却を行えば赤字決算を避けられなかった(〈証拠略〉)。債務者の不良在庫は、平成一〇年七月の決算期で「医薬品の開発シリーズ」一万五八七三冊(ただし、〈証拠略〉によれば、右のうち、平成一一年八月一日から同年一一月一五日の間に一六〇冊販売されたことが認められる。)、「第一二改正日本薬局方CD―ROM」一〇九冊、「初版日本薬局方」一二五冊、その他一五万〇二六一冊で、その原価評価金額は五億七五二二万七七一九円に上っている(〈証拠略〉)。

(二) 債務者の発行点数をみると、平成四年をピークに新刊、重版ともに減少傾向にあり、特に新刊は平成一〇年度、平成一一年度と極端に減少している。重版の発行点数に大きな変動はないが、その数は多くはない(〈証拠略〉)。債務者の営業の中心は、自然化(ママ)学部門の大学用教科書であるところ、自然科学分野の学問・科学技術の進歩は急速であり、その出版物の内容が絶えず陳腐化していくため、旧版は商品価値を失い、前記(一)のように多額の不良在庫が生じてしまうことになっている。そこで、債務者において、新刊の発行は、業績の維持・向上のために不可欠であるが、新刊発行の費用の捻出が困難であるため、新刊の発行点数が減少している(〈証拠略〉)。

ところで、厚生省が定める医薬品の品質規格である「薬局方」に関連する書籍について、債務者は昭和五一年ころからその市場をほぼ独占してきた状況にあるところ、債務者が「薬局方」に関連して発行している書籍は、「条文」、「解説書机上版」(以下「机上版」という。)、「解説書縮小版」(以下「縮小版」という。)、「解説書学生版」(以下「学生版」という。)の四種類がある。そして、「薬局方」は、五年ごとに改正されるため、債務者はその改正毎に右関連書籍を発行し、その売上は、概ね改正時が最も多く次第に減少していくという五年のサイクルで推移するのが常となっている。しかし、第一三改正では、第一一改正よりも全体で売上は二〇パーセント増加したものの、これは価格の大幅な値上げを行ったためであり、販売部数は、そのいずれについても第一一改正以降次第に減少している(〈証拠略〉)。「薬局方」は、第一四改正が平成一三年四月に予定されているが、第一三改正の「縮小版」、「机上版」について、取次店の「トーハン」と「日販」を併せて平成一一年一〇月二八日現在で約二億三五〇〇万円分が在庫となっており、追補分も併せるとその額は合計約二億五〇〇〇万円に上り、平成一一年八月二五日から同年一〇月二八日までに「トーハン」で「縮小版」が二冊販売できただけであることからして、右二億五〇〇〇万円分の在庫のほとんどを第一四改正時に買戻さなければならない状況であり、第一三改正の返品は第一二改正の返品を大幅に上回る(一〇倍以上)見込みとなっている(〈証拠略〉)。しかも、第一法規出版株式会社など他社が参入してきて競争が激化していることに加え、次のような事情で、将来的にも「薬局方」関連書籍の売上増加は見込めない状況である。すなわち、「条文」、「机上版」は、製薬会社、薬局、薬品卸会社に販売されるものであり、現在、薬局、薬品卸会社は、「薬局方」の備付が国の規制により義務づけられている関係で、その関連書籍も購入している。しかし、新薬開発速度に登載される品目が追いつかないという現象が生じていること、薬局、薬品卸会社は、近年自ら医薬品の製造、品質検査を行わなくなり、製薬会社が製造した商品をそのまま販売することが多くなったことから、薬局、薬品卸会社において、「薬局方」の「医薬品集」としての有用性が減少しており、そのため売上の回復ないし増加は望めない。「学生版」についても、「薬局方」がこれまで薬剤師国家試験の科目となっていたことから大学の教科書として販売されてきたが、平成八年から「薬局方」は薬剤師国家試験の科目でなくなったため、今後売上はなお減少していくことが予想される(〈証拠略〉)。

さらに、「薬局方」を除いても、債務者のいわば主力商品である薬学、化学の教科書・参考書の販売部数、売上は平成七年八月以降次第に減少しており、売上でみると、平成八年七月期が九億七八六五万七八〇〇円であったものが、平成一一年七月期では八億三三五一万九四一一円となっている。こうした債務者の総発行点数の減少、売上及び販売部数の減少の原因は、いわゆる「活字離れ」や出版不況、競争の激化のほか、いわゆる「少子化」による学生数の減少などにあり、容易に改善は期待できない(〈証拠略〉)。こうしたことから、債務者は、平成五年ころから本格的に看護学の書籍(教科書を含む。)にも参入し、平成一一年は平成九年と比較すると販売部数は約一・八倍の一〇万部以上となり、債務者の書籍を教科書として採用している看護学校数も約一・三倍の六〇〇校以上に伸びている(〈証拠略〉)。しかし、この分野では、債務者はいわば後発であり、市場の約九割を「医学書院」と「メディカル・フレンド」が占めており、六〇〇校以上の看護学校が債務者の教科書を採用しているとはいえ、その点数は平均一・五点であり(看護学校では平均一人当たり四〇点から五〇点の教科書を使用する。)、また、経費削減のために倉庫業務の外注化を図ったりしているものの、この分野への進出によって、債務者の経営状況の近い将来の好転を期待できるような状況ではない(〈証拠略〉)。

また、債務者では、こうした経営状況を反映して、アルバイト従業員を除き、ここ五年以上従業員の募集は行っておらず、平成一〇年冬期賞与、平成一一年夏期賞与について、廣川労組に対し、減額提示を行った(〈証拠略〉)。

5  本件解雇に至る経緯

債権者は、平成一一年五月二一日、債務者編集部の野呂嘉昭室長(以下「野呂室長」という。)から、電話で長野分室に送る仕事がないので、事務所で待機せよとの業務命令を受け、同月二六日にも編集部の栗栖隆室長から同趣旨の業務命令を受け、その後平成一一年六月三〇日、野呂室長及び総務部の窪田晧室長(以下「窪田室長」という。)が長野分室を訪れ、債権者に対し、長野分室は平成一一年七月一九日付けで閉鎖するので、同月二〇日付けで退職してもらいたい旨の退職勧奨を行ったが、債権者は雇用の継続を希望し、本社への配置転換の希望を伝えたが、野呂室長らは東京でも仕事がないとして、これに応じず、債権者に対し、退職金の提示などを行った(〈証拠略〉)。債権者としては、あくまでも雇用の継続を希望していたので、この件について、廣川労組に交渉を依頼したが、同年七月五日、野呂室長及び窪田室長が再度長野分室を訪れ、債権者に対し自宅待機を命じた(〈証拠略〉)。その後、平成一一年七月七日、同月一四日、同月二三日の三回にわたり、廣川労組と債務者との間で団体交渉が行われたが、債権者の雇用の継続を主張する廣川労組と債権者の退職を主張する債務者との間で交渉はまとまらず、決裂した(〈証拠略〉)。そして、債務者は、債権者に対し、平成一一年七月二八日付けの書面(〈証拠略〉)で、就業規則二七条によるとして同月三〇日付けで解雇する旨通知した。

なお、債務者の就業規則二七条には次のとおり規定されている(〈証拠略〉)。

第二七条(解雇)

社員が次の各号の一に該当する場合は三〇日前に予告するかまたは三〇日分の平均賃金を支払って解雇する。

(1) 精神または身体の障害により業務に堪えられないと認めた場合

(2) 執務態度または出勤状況が不良であるか、あるいは職務遂行能力または職場適応性格が未熟のため異動しても就業に適しないと認められた場合

(3) 休職期間が満了しても延長を認められる見込みのない場合

(4) 定年後継続採用、新規採用の見込みのない場合

(5) 業務の整備または作業の合理化その他により冗員を生じた場合

(6) やむを得ない業務上の都合による場合

(7) その他前各号に準ずる事情があって解雇することを適当と認められた場合

二  本件解雇の効力

1  使用者が労働者を解雇することは元来自由であるところ、使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には権利の濫用として無効となるものと解するのが相当であり、就業規則によって解雇事由が限定されている場合、右の点を踏まえて当該解雇が就業規則上の解雇事由に該当するかどうかを検討することになる。ところで、本件解雇については、債務者は就業規則二七条を根拠としており、前記5によれば、本件に関連するのは、同条(5)、(6)であると解せられ、本件解雇がこれに該当するかどうかについて検討しなければならず、より具体的には、長野分室閉鎖の必要性、配置転換の可能性、解雇手続の相当性等の諸事情について検討する必要がある。

2  まず、長野分室閉鎖の必要性についてであるが、そもそも事業所等の開設及び閉鎖などは、経営判断に属する事柄であるところ、長野分室は長野所在の法令印刷への発注量が増加したことから開設され、最盛期には年間二万六〇〇〇頁以上の発注量があったものの、平成八年には約七七〇〇頁に減少し、その後もさらに減少を続け、平成九年二月に法令印刷社内の一室を明渡した当時、その閉鎖も検討されていた程であったのが、同年三月に同じ長野市内の別の場所に移転して以降さらに法令印刷への発注量は激減し、平成一〇年には約一二〇〇頁になり、ついには長野分室固有の業務はなくなり、長野分室で勤務していた債権者に対し、債務者は本社から仕事を送るような状況になり、送料、通信費などのためにかえってコスト高になってしまっていたこと(〈証拠略〉、前記2、3)からすると、もはや債務者にとって長野分室の存続理由はなくなったというほかなく、平成一一年七月一九日付けで長野分室の閉鎖を決定した債務者の経営判断が合理性を欠いていたということはできず、長野分室閉鎖の必要性はあったものといわざるを得ない。

3  次に、債権者の配置転換について検討する。

(一) 債務者は、債権者が現地で雇用した従業員であることを根拠として、本社への配置転換はありえないと主張する。債権者が債務者と最初に雇用契約を締結した昭和五三年九月、債権者が債務者の正社員となった平成五年、一月一日のいずれの時期についても、債権者と債務者との間で勤務地を限定するような雇用契約書は作成されていないことからすれば(前記一3)、債権者と債務者との雇用契約が勤務地を限定するものであったとにわかに断じることには困難があるものの、債権者が、長野分室の要請によって現地で採用され、長野分室の閉鎖まで勤務地に変更はなく、債権者が平成六年八月長野に自宅を購入していること(〈証拠略〉、前記一2、3)からすると、少なくとも債権者と債務者との雇用契約締結当時(昭和五三年九月、平成五年一月一日の両方を含む。)の双方の意思としては、長野分室が存続する限り、債権者の勤務地は長野分室であることで合致していたものと推認することができる。とはいえ、長野分室の閉鎖がやむを得ないからといって、当然に本件解雇が有効であるということはできない。解雇によって生計維持の道を断たれるという労働者の被る重大な結果を考慮すれば、債権者が本社への配置転換を希望していた本件においては、配置転換の可能性が肯定できれば、なお、債権者は就業規則二七条(5)にいう「冗員」には該当しないというべきであるし、同条(6)にいう「やむを得ない業務上の都合」があるとはいえないというべきだからである。

(二) そこで、債権者の配置転換の可能性について検討する。

(1) まず、債務者の経営状況をみると、平成九年七月期から平成一一年七月期まで一貫して決算では黒字を計上しているものの、債務者は約五億七五〇〇万円もの多額の償却していない不良在庫を抱えており、実質的には赤字である上、新刊の発行点数、債務者の主力商品である薬学・化学教科書の売上は減少し、債務者が昭和五一年以降市場をほぼ独占してきた「薬局方」関連書籍についても販売部数が減少していること、しかもこうした現象は、進歩の速度が急激で旧版が陳腐化してしまうという自然科学学術書の性質、いわゆる「活字離れ」、出版不況、学生数の減少、また、「薬局方」に関しては、薬剤師国家試験の科目でなくなり、製薬会社の新薬製造の速度に改正が追いつかずその有用性が減少するなどといった原因によるものであり(前記一4(一)、(二))、債務者の経営努力により容易に打開できるようなものではないといわざるをえず、これらの原因に照らせば、債務者の経営状況には、近い将来の好転、あるいは改善を期待するのは困難であるばかりか、むしろ一層厳しくなることが予想される(ママ)ている(前記一4(二))。債務者が平成五年ころから本格的に参入し一定の成果を挙げている看護学の分野にしても、競争は激化しており、市場の約九割は「医学書院」と「メディカル・フレンド」によって占められており(前記一4(二))、特に市場の約七割を占める「医学書院」は、売上、経常利益とも債務者の六倍以上にもなる大規模な出版社であること(〈証拠略〉)からすれば、この分野でも債務者が近い将来その経営状況を好転させるに足るほどの利益を上げることは困難というべきである。しかも、債務者においては、新刊の発行点数の減少や販売部数の減少、組版のコンピューター化によって下貼り作業などがほとんどなくなるなど、債務者全体の仕事量も減少し、ここ五年以上社員の募集も行っていない(〈証拠略〉、前記一4)。これらのことからすると、債務者としては、経営状況からみても、業務量からみても、本社にさらに従業員を受け入れる余裕はなく、従業員を受け入れることは著しく困難であったというべきで、長野分室の閉鎖に伴う人員削減の必要性を否定することはできない。

なお、債務者の不良在庫について、債権者は、過大評価である、不良在庫とはいえない、また、「薬局方」関連書籍の返品については折込済みであると主張し、水野泰隆の陳述書(〈証拠略〉)にはこれに沿う記載がある。しかし、不良在庫は原価評価で行われており(前記一4(一))過大評価とはいえないし、債務者が不良在庫であると主張する書籍に販売を継続しているものがあるとしても、その額に大きな影響を及ぼすものともいえず(〈証拠略〉)、「薬局方」関連書籍の返品が折込済みであったとしても、その額が増加し、その額も約二億三五〇〇万円と多額で第一二改正時の一〇倍以上であること(前記一3)から従前の折込済みという範囲を大きく超えて、債務者にとって、深刻な状況であったことは否定できないのであって、債権者の主張は採用できない。

(2) また、債権者の経歴からみると、債権者は、割付、下貼り作業などを行っていたところ、すでに述べたように下貼り作業はほとんどなくなっており、校正作業などの経験は少なく十分にこなせないなど、編集業務の限られた作業の経験しかないのであるし(前記一3)、債務者は専門的な書籍の出版を行っていることから編集部の従業員の大多数が大学の理学部、薬学部卒業者である(前記一2)ところ、債権者は専門的な教育を受けたこともないこと(前記一3のとおり、債権者は高卒である。)からすると、債権者が本社で編集業務を行うのは容易ではないというべきであるし(この点、水野泰隆の陳述書(〈証拠略〉)には、同業他社の編集部は大卒者ばかりではない旨の記載があるが、同業他社の編集部でどのような範囲の業務が行われているのか不明であり、債務者の編集部を同様に論じることはできない。)、営業にしても、債権者はわずかに平成九年三月以降他の業務と並行してこれを行ったことがあるという程度で、顕著な成果も挙げられなかったこと(前記一3)からすれば営業部への配置転換も困難というほかない(この点、養父敏春の陳述書(〈証拠略〉)には債権者も営業部での勤務が可能である旨の記載もあるが、右養父は大学で物理学を専攻していた上、大学卒業後債務者に入社して以来一貫して営業を担当してきた従業員であって、高校卒業後入社以来二〇年以上を営業経験がほとんどないまま勤務してきた債権者とは状況を異にすることから、右陳述書の記載を直ちに採用することはできない。)。また、債務者には、アルバイト従業員を雇用して行わせている業務もあるが、それは物流業務で、入出庫書籍の運搬が主たる作業であるため、アルバイト従業員も二名の男子学生であり(〈証拠略〉)、右業務に債権者が従事するのは困難であるというほかない。

(3) このように、債務者の経営状況、業務量、債権者の経歴を考慮すれば、債権者の配置転換は著しく困難であったといわざるを得ない。

4  そして、本件解雇手続については、前記一5のとおり、債務者は、当初から一貫して債権者の退職を主張して、廣川労組との団体交渉は決裂してしまったとはいえ、本件解雇に至るまで、債権者に対し、退職金、解雇予告手当、特別退職金等の提案を行い、廣川労組と三回の団体交渉も行い、その中で、やや具体性は欠くものの、長野分室閉鎖の事情、債務者の業績不振について一応の説明を行っており、本件解雇手続が不相当であるとまではいえない。

5  右によれば、債務者の長野分室の閉鎖には、経営上の必要があり、債務者の経営状況からみて債権者の雇用継続は困難で、債務者における最近の業務量、債権者の経歴からみて配置転換も困難であったというべきであるから、本件解雇は就業規則二七条(5)、(6)に該当し、本件解雇は有効であるというべきである。

三  以上の次第で、本件申立は被保全権利を欠き、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから却下し、主文のとおり決定する。

(裁判官 松井千鶴子)

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